「意味度」・・・・・人間の精神にとっての意味の濃度。(うまく言えないから下記の例で分かってくれ)
                    
                        自分が文章を読んで感じるものはこの濃度のバランスな所も大きいと感じる。
                        濃度が高すぎるものは苦手で、低すぎるものも苦手だから。
                        音楽で言えば「コード進行の濃さ」的なものかもしれない。
                        自分はこれの度合のバランスの組み合わせて美を感じること多い気がする。
                        例えば隠喩でも、「高い-低い」の組み合わせとか好きな感じがする。
                        そしてロキノン系が嫌いなのは意味度が高すぎるからだわ。
                        やたら「人間という仕事を与えられて~」とか意味度が高すぎる。
                        なんで意味度のバランスに美や醜を感じるようになったのかはわからないけど。
                        
                        例えば単語で言えば「砂」は低く、「宇宙」は高い。
                        「泉」は中くらいで「愛」は高い。
                        「ほこり」は低く「塊」は中くらい。
                        行為で言えば「家に行く」のは低く「愛し合う」のは高い。
                        「洗い物」は低く「叫ぶ」のは高い。                        
                        文章で言えば「ああ俺の人生笑える」は中くらい、「ああ人生って愛のことか」は超高い。
                        「この気持ちを真空パックしておけないもんかなぁ」は中上で、
                        「この気持ちを真空パックしておきたいもんだなぁ」は高い。
                        
                        この「文章で言えば」のところが難しい。
                        自分は文章を書くにおいてこの意味度をコントロールしたいんだけど、
                        単語の場合はそれだけを考えれば良くて楽だけど、
                        文章の時っていったいどこがどう絡んで意味度を形成するのかよくわからないじゃん。
                        『ああここで意味度が中の隠喩を入れたい』という作詞法が成立するかは分からないけど、
                        そういう風にやることが可能だとしたら、いったいどうコントロールできるのか?
                        
                        でも例えば音楽でも「5m-6Mが好き」っていうのもあれど、
                        それを発想の根本にはおけないよね。あくまでも編曲段階での選択じゃんわりと
                        自分にとっては確かにそれが好きだけど、
                        それは創作の発想の段階で使うことはできない類の概念なのかもしれない、意味度って。
                        その可能性もある
                        
                        音楽における発想段階はモチーフか単なる思い付きが強いんだけど、
                        それに値するような文章における発想段階に使える概念ってないのかな
                        プロットかな
                        主人公の心理の流れかな
                        でも自分はプロットを感じているわけではない気もするし
                        自分がどう歌詞を感じているのかが分かれば・・・・・
                        
                        意味度は、なんとなく、発想の段階からコントロールするものではない気がしてきた。
                        音楽における「単発のコード進行」程度のものかな・・・?
                        どうかな・・・
                        
                        じゃあもっと根本的な概念をみつけなければ・・・・・
                        
「根源度」・・・・・この世界/宗教性における意味の根本的度合。(ごめんこれほんとうまく言えない)
                    もたらすカタルシスの「根本性/心底への浸透性」みたいな感じ。
                    
                        あのさ、、、(どうにかわかってくれ・・・)
                        根源度が高いのは例えば「あなたは私じゃなくちゃ」で中なのは「昔描いた夢で」
                       単語で言えば「あなた/わたし」は強く、「砂」は低い
                       「小さな願い」は中で「きっと~歩いていこう」は高い
                       「愛してる」は高く「どう感じるかよくわからない」は低い
                       「今日は怠いな」は低く「あなたが好き」は高い
                       「皮膚」は高く「ビタミン剤」は低い
                       
                       意味度と相似してる部分もある
                       根源度は「意味の強さ」でなく「意味の根本さ/カタルシスの根本性」を言ってる
                                               
「連続度/必要度」・・・・・なんらかの要素・表現技法が連続して現れる度合。連続性に必要性の薄い度合。

			その効果を狙ったものでない限り、同じような要素・表現技法が連続していると、カタルシスをシャットアウトしてしまう。
			狙ったもの以外は高くない方がいい。ストーナー(自分用語)的な雰囲気を狙う時は、あえてこの度合を高めるのも技法。

			例えば「同じような、特に雰囲気的な意味しかない、必要度が薄い修飾を繰り返す」
				*青い言葉が弱く消える
			例えば「似たような音数の言葉を繰り返す」
				*怠い気配がゆるく香る
				 昨日聞いた怖い音も(3,3,3,3,3,3,3,3的な)		
			例えば「同じような形容表現を繰り返す」
				*白い粒がすごい見えた(「○○い」の連発的な)
			なんかプロポーション的に、よっぽどはまらないと、手数の少なさを感じ取ってしまい、冷めてしまう。
			だから、特に狙ったものでない限り言葉の音数や表現技法は複数使えば良い。
			フレーズ毎にも言える。同じような表現技法のをフレーズ跨いでも繰り返すのは、狙わない限りよくない。